新穂高温泉郷   宝岳館    



〒506-1421
岐阜県高山市
奥飛騨温泉郷
新穂高温泉

宝岳館

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Fax. 0578-89-2035




蒲田温泉の歴史




蒲田記 巻物

この巻物は当館に古くから伝わる物で
先祖より家宝として大切に受け継がれています。

歴史書によると1841年(天保12年)に
当時の地役人であった山崎弘泰という人が
蒲田温泉を訪れた時に書き記した物だそうです。



飛騨の歴史が書かれている「飛州志」に蒲田温泉
のことが次のように書かれています。

飛州高原郷の蒲田温泉の始まりはいまだ詳しくは
わからないが次のような言い伝えがある。
天正年間(十六世紀後半)、東濃の人が重病で
十年以上も苦しんでいた。
その人の子が薬師像に助けを求めたところ夢の中に
老人が現われ飛州の東端に温泉があると告げた。
早速父を背負い出かけて父子が探しあぐねていると
再び老人が現われ「この下に温泉があり百病に効果が
ある。お前の孝心に感じいって現われた薬師である」
と言うやいなや空に消えた。
岩石の間からふつふつと湧き出している温泉が見つかり
浴びてみたところ七日で気分ハツラツ、十四日で身体壮健、
二十七日で長年の病気が嘘のように消えた。
その後、重病の人が小屋を立てて湯治をするようになり、
慶長のころまで続いた。

その後、今見(現在の今見地区)の老農が温泉の近くに夜、
光が射し薬師像出現の夢を見た。
里人がこれを聞き、行ってみるとその通りだったので
今見地区の旧家三、四軒をそこに移築し湯治に用いた。
この不思議な出来事によって温泉の霊験と効用が広く
信じられるようになった。
風邪、冷え性、不自由な目耳足口、全身麻痺、関節痛に
苦しむ多くの人が雲のように集まってきた。


これは温泉発見にまつわる「
孝子伝説」として
伝わっています。



大正5年当時の蒲田温泉

上の写真は大正5年当時の蒲田温泉の様子です。

写真中央の大岩の左側に浴場が見えます。

蒲田温泉は大正9年まで現在の場所から数百メートル
ほど上流にあったそうです。

当時は大岩の下から温泉が湧き出しており
そこが蒲田温泉の共同浴場でした。
その頃は電気も内湯もありませんでした。
上流の足洗谷の入り口付近には地獄と呼ばれる所があり
サツマイモを地中に埋めて蒸して食べていたそうです。


現在の蒲田温泉とはずいぶん雰囲気が違いますね!





参考資料 : 新ひだ風土記抄 (下畑五夫 著)
       蒲田記 解説書